2020/02/15 00:50

最近の美術館って、携帯の撮影音が響くことが多いですよね。

禁止されているのに黙って撮影する、という場合も中にはありますが、撮影を解禁している美術館・企画展も増えています。

撮影をOKにする理由って、どのようなものがあるのでしょうか。
まず考えられるものは、美術館や企画展が「バズって」多くの来館者が来ることを期待しているのでしょう。

最近は撮影した写真を個人的に楽しむ、資料として保管するというよりは、SNSで発信する人が増えてきていることから、写真撮影を解禁することでSNSのフォロワーや友人を通じて、効果的に情報を拡散することができるようになりました。

SNSは若年層に広く普及しているので、SNSを利用したマーケティングは「若い世代を呼び込みたい」という時にとても有効な施策の一つです。
また、美術作品など視覚に訴えかける作品は、いわゆる「映える」媒体であるため、長文ではなく、写真や短文での効果的な発信が重要なSNSとの親和性も高いということができます。

現に多くの美術館が、若者層をターゲットにした「写真撮影OK」のSNS施策に取り組んで、大きな効果を得ています。

一方で、美術館での写真撮影を解禁することに違和感や抵抗感を覚える人もいるようです。
かつては「フラッシュで作品が痛むから」などという、もっともらしい理由もありましたが、スマホ全盛期の今ではそのような実害は少ないのに、なぜ違和感があるのでしょうか。

撮影の音でしょうか。それとも、撮影するために作品鑑賞の導線が乱れるからでしょうか。

これは私の想像の域を出ませんが、理由はもっと精神的なものだと推察しています。
つまり、「特別な場所」が陳腐化してしまうからです。

そもそも美術館の来歴は、博物館とともに「ヴンダーカンマー」に端を発するもので、その目的は「学術」「教育」のほかに、「非日常」も重要な要素の一つとなっています。
前回のblogでは博物館の教育的側面から「広く来館者を募らなければ、公営機関としての意味がない」と論じてきましたが、SNSなどの近代の利器によって、あまりにも一般化してしまうと、今度はこの「非日常」という要素が消滅してしまうのです。

乗客が全員スマホをのぞき込む電車のような日常から解放された「非日常」である美術館でも、スマホの撮影・SNSでの拡散・映え・バズ…となると、げんなりしてしまうのが人間なのではないでしょうか。

このような現象は美術館に限らず、「一般化」と「特別感」のバランスを模索するコンテンツにはつきものです。
例えばハイブランドの商品の広報活動を行って一般化が急速に進むと、こんどはブランドイメージが低下して重要な顧客が離れてしまう、という場合などです。
(ハイブランドが商品をたくさん売りながらブランドイメージを死守するために開発したのが「セカンドライン」ですね)

このような流れは、はっきり言って止められないものでしょう。
良いか悪いかは別として、すでに電子的なコミュニケーションは人間に欠かすことができないものであり、また公立・民間を問わず美術館が生き残りを図るために広報活動に力を入れるとなると、必然的に「写真撮影OK」も結論の一つとして帰結するはずです。

しかし、気を付けなければならないことがあります。
それが「計画的陳腐化」です。
これは、買い替えが前提の商品について、新商品が発売されると、古い商品が時代遅れで無価値なものであると印象付け、買い替えを促進するための手法です。

もしも美術館の企画展ごとに打ち出されるSNSマーケティングにこの計画的陳腐化が組み込まれるようになったら。
そうなると、各企画展は完全に使い捨ての消費財になり、SNSに掲載するための純粋な「はやりもの」になってしまいます。
現代アート界隈では特に、SNSでの投稿が前提のマーケティングが設計されていることも多いので、それぞれが消費財にされてしまわないように、注視してゆく必要があるでしょう。